「悲嘆について学ぶ」上智大学公開講座

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【施術家の備忘録】

「悲嘆について学ぶ」
上智大学公開講座 第一回・第二回を受講しての備忘録。

上智大学グリーフケア研究所というところが主催の、この、なかなかインパクトのある講座名。

そもそも、どこから見つけたのかというと、チャッピーだ笑。
昨年度の神奈川歯科大学統合医療学講座で出会った死生学。
それを、今後深めていきたいと強く思ってから早一年。

飽きっぽい私が、ずっとラボでそれを軸にしたいと言い続けて半年。現在のリライフラボ統合医療+の共同運営者であるハーリィもそこまでいうならとOKしてくれて。
夏前にリニューアルし、アプリも作ってもらった。

死生学、なんて言葉は、結構インパクトがある分、色々と印象も変わる。そして、私が本当に飽きっぽいので、1ヶ月前に言ってたことをもう忘れてることとかも多くて。しばらくは保留としてお預けだったのだ。(こういうことは、よくある😂)

ラボのリニューアルは決まっていたけれど、軸にするということに関してはずっと保留。
統合医療分野の一つでいいのではと。

でも、私は軸にしたかったのである。

人に関わる仕事の中でも、特に健康分野を扱うのであれば、そこは私は外したくないと思った。

所属しているLSSでは、施術家は小児(もちろん新生児も含む)の施術までできて一人前と言われる。それはテクニックだけではなく、小児への深い理解や洞察、信頼関係の考察の仕方など、全てにわたって、新生児という、1番無垢で変化の大きい時期に適切に関わる総合力が必要ということだ。
そして、小児への理解がしっかりできて初めて大人への施術もより深く必要な領域へアプローチできるとのこと。

「生」と深く向き合う妊娠出産期のお母さんと、赤ちゃん。
そして、生まれた時からすべての人が向かい、いつかは向き合うことに必ずなる「死」

対で深めたいと思ったのだ。

無限大の可能性を秘めた出生時から、全生物が収束していく「死」。
それは一体なんなのか、どう捉えるのか、どう理解するのか。
すごく興味が出た。

で、ここまでが前置きなんだけど(長いw)

自分が軸にしたいというなら、全く学びが足りてないと思ったので、チャッピーに聞いたのだ。どこで学べるのかと。
もちろん本も結構買った。でもそれとは別で、ちゃんと学びたいと。

そしたら、複数出てきたうちの一つが、この、「悲嘆を学ぶ」という講座だった。

第一回、第二回と聴講した。
刑務所内の受刑者にカウンセリングをしてきたカウンセラーの人の話や、病院でチャプレンとして患者さんやご家族、勤務する人たちも含めて心のケアをする聖職者の人の話を聞いた。

びっくりするほど、赤裸々に、努力も苦悩も葛藤も失敗も学びも今なお消えない記憶もお話くださった。誰も正解が導けない、生々しい現場で、手探りで、信念を持って、葛藤も恐れず、人の心と向き合う。しかも、その成果は、一般の社会の中よりも驚くほど微々たるものだ。

4年間、一切変化もないクライアントと月に一度面談してきた経験談も語られた。

グリーフというのは、悲嘆という意味で、それは
大切な存在(人やものその他色々)を失った悲しみや嘆き、ということだそうだ。

この講座の途中には、身近な人の死というものを経験した人は、聞いてる途中でもいつでもすぐに退出してくださいという配慮の言葉もあった。無理をしないでくださいと。

そういう注意喚起が必要な、経験談だったのだ。

その中で、カウンセリングをするからには、どうにかクライアントに良くなってほしい、そういう思いがあるのは当然だが、その姿勢がクラアントにとって悪い状況に誘うこともあったという経験や、
ずっと変わらないクライアントの様子にも、焦らず、クライアントの言葉を否定することなく、一緒にその場に居続けることでよい方向に向き始めた話もあった。

誰が聞いても、マニュアルはもちろんないし、正解などわからない混沌の中で、居続ける。そこに静かに居続ける。その意味を、少し受け取れたと信じたい。

ここ6−7年は、統合医療チームとして、あるいは一人の施術家として終末期に関わらせていただく機会がそれなりにあった。

誤解を恐れずにいうなら、誰がどう見ても近い未来に死にゆく状態の人に、施術をさせてもらう機会が多くあったということだ。

その臨床現場の中での疑問や、自分自身の数人の身内の死の経験の中での疑問に、私なりの回答を見つけるためにも。
そして、そこから浮かび上がっていた死生の捉え方。
そこに至る過程も、共有していく意味があるのではと思うから、ラボで軸にしたいと思ったのだ。

ちなみに、私が施術でしたいのは、別に延命ではない。
生命力の回帰を見たい。
人の生命力に賭けたいのだ。

終末期に関わった人が亡くなったら、もちろん、他人の私でも寂しいし悲しい。

でも、生きている限り、本来の自然な寿命を除いては、生命力の回帰の可能性はあるのだと私は信じている。

施術家として関わるのであれば、どんな病気だろうが、どんな症状であろうが、私にできることは生命力回帰のための施術だけだ。

講座の趣旨とは違うかもしれないけれど、施術家として終末期の方に関わるなら、悲嘆するのは、全部終わってからでいい。
絶望とか諦めはない。やれることをやり続けるだけだ、
最後まで。

そんな風に、受講後に思ったので、書き残してみた。

今回も、超長文へのお付き合いありがとうございました。

あおい拝

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