自然療法が教えてくれること 「イノチはコントロールできない」

自然療法というものを選択すると、様々なことを感じることが増えます。

 

 右矢印自然療法とは① 自然療法そもそも論

 

 右矢印自然療法とは② 治療という行為と人間

 

 

 

 

 

 

先ほど、娘が週末だからと、クラスから預かってきたバッタが

ちゃんとお世話をしていたのに死んでしまっていて、

娘が大泣きしていました。

  

「死なせちゃった」

「どうして死んじゃったんだろう」

「どうしたら死ななかったんだろう」

 

って。

 

そんなの、私にわかるわけありません。

誰にもわかりません。

 

 

 

 

それと同じようによく、西洋医学に頼ったから 死期を早めたんだとか、

自然療法や民間療法に頼ったから、ダメだったんだとか、

そんな言い方を目にすることもあります。

 

 

ある見方をすれば、それぞれが正しいのかもしれませんが、

私はそうは思っていません。

 

 

 

 

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自然療法の究極は、

 

「治るか治らないか、生きるか死ぬかは誰にもわからないということを、受け入れること」

 

「生も死も、この自然の循環の一部であることを受け入れること」

 

「人間がコントロールできるものなんて、本当はないのかもしれないと気づくこと」

 

「今生きている命を どう生ききるかを 見つめ直すこと」

 

というような気がしています。

 

 

 

それは、本を読んだから得られるとか、誰かの話を聴いたからできるようになるというものではなく、

 

その、自然療法と言われるものを 実際に実践していくことで、そういう素地が自分の中にできていくように感じるのです。

 

 

 

私にとっては、これらを強く感じさせてくれるなと思うのは、

施術と 食べ物、植物を使ったお手当てです。

 

 

 

先日は、備前焼一陽窯の若女将 木村敦子さんからお声かけいただき、

 

敷地の松の葉をみんなで摘んで、松葉サイダーや松葉エキスを仕込みました。

 

 

 

療法相談では、びわの葉を使ったお手当を勧めることもあるし、

 

自然生活学勉強会では、青菜パスタ―というものもお伝えしました。

 

 

 

 

松葉を扱うときは、つんつん 手指に刺さります。

痛いです。 

 

びわの葉をお手当に使うとなった際には、どこに生えているのかな

殺虫剤などは使われていないかなと、そんなことが気になります。

 

青菜パスターに使う青菜は、小松菜でもホウレンソウでも何でもいいのですが、

今の時期の小松菜だと、農薬を使っていなければ虫食いだらけです。

 

 

 

スーパーでもなく、ネットショップでもなく、

自分で汗をかきながら、お手当をする材料から集め始めると、

 

そこでは小さな生き物たちの生死も垣間みることになります。

 

 

青菜にアブラムシがたくさんついてれば、もちろん洗い流すでしょう。

そこで、アブラムシという小さな生き物たちは、お手当に使われる青菜についていたために

死んでいきます。

 

松葉にも びわの葉にも、名前も知らない小さな虫たちがついていることもあります。

 

 

 

先日の田植え体験でもそうでした。

 

すみかから追い出された たくさんの知らない虫たちが 私の足に避難してきました。

 

でも、気持ち悪いし、嫌だし、私は払いのけるわけです。

 

つぶしてしまった虫たちもいます。 

 

 

 

虫たちは、別に何にも悪いことしてません。

間違ったこともしていません。

ただ、そこに生きていただけです。

 

 

植物たちもそうです。

お手当に使われるということは、命を絶たれるとか、自分の一部を私という人間に奪われることになります。

 

 

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それでも、私たちは治りたい。

 

健康になりたい。

 

 

 

だからこそ、

 

コンクリートの隙間から生え出てくるドクダミという強い生命力をもつ植物の力を借り、

 

よもぎという 土地を浄化する植物の力を借りて、

 

生命力を分けてもらい、

 

浄化の力を借りる。

 

 

 

できることを、今目の前のことを、ひとつひとつ。

 

 

 

日々を精一杯、自分らしく生ききる。

 

 

 

 

 

そして、その心持をもってしても、誰にも 何物にも侵されない

 

「生まれて 生きて死ぬ」

 

という「イノチの循環」の中で 私たちは生きているだけです。 

 

 

 

 

自然療法は体にやさしいとか穏やかだという見方もあります。

作用としてはそういう部分もあります。

 

 

 

でも 自然療法が教えてくれることは、当たり前すぎて、時に厳しい。

 

 

 

 

未熟ながら そんなことを感じ、

 

それが真髄なのかどうか、真実なのかどうか。

 

 

 

自然療法に教えられる、時に厳しい気付きを得ながら、

 

やってみている、そんな日々です。

 

 

 

なんだって、やってみないと わかりません(笑)

 

 

 

 

 

昨日は 自然療法院オープンデイにて、第2回目の小さなお話会でした(^^)

しえさん、お疲れ様でした。ありがとうございました(^^)

 

 

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