徒然日記 2023.5.26

3/21からスタートした新しい学び。

新しいというか、ずっとやってきてたことがより純度高く学べる場での新しいスタート。

その基盤となる内容の講座が5/21から二日間あった。

 

自分の課題が浮き彫りになった。

「そこに愛はあるのか」

 

気づいたことは、

・想いの具現化が必要

ということ。想っているだけじゃダメだ。

その想いをもって、人に触れるとき、手はどうなるか。

 

正解はない。でも、その意識で触れた時、全く違う手になっていた。

 

コンタクトが全て。

骨を掴むことが重要。その意味も、やっと理解した。

 

まっすぐ愚直に受け取るという、その意味も、ずいぶん浅い部分でしか受け取ってなかったことも理解した。

 

技術を必死に学び、積み重ねた。

知識も一生懸命学んだ。

 

いつの間にか、
「技術を手に入れ、知識を学べば、相手のことがわかるに違いない」

「わかるもの以外は受け入れない」

そんなふうになってたことに気付かされた。

 

まず受け取る、をやらず、
自分のわかること、把握できることだけを探すようになってた。

 

わからないことはできるわけがないと思っていた。

 

でも違った。

わからないなら聞けばいい。

教えてもらえばいい。

 

施術の学びの師は、講座に行けば会える。

でも、その人への施術を教えてくれる師は、その人自身だった。

わかるわけがない。
人は宇宙。
今なお、人間が把握する宇宙のことは、宇宙の全体像の数パーセントだという。

人は宇宙なのだから。
私が把握できることも、きっと最大でも数パーセント。

 

でも、その人の身体は、100パーセントの答えを知っている。

だからこそ、教えてもらうため、聞かせてもらうために、出会い、触れ、望まれたことに技術を使う。

その姿勢は、一つの愛の形ではなかろうかと思う。

 

積み上げる知識と技術は、相手を治すために使うものではなかった。

相手をわかるために使うものではなかった。

相手の声を聞き、相手に応えるために積み重ねるものだった。

 

あの日あの時憧れたあの世界へのスタートに、

今度こそ立てていることを願う。