少し前になりますが、子どもたちの小学校で 発表会がありました。
娘は 合奏 オペレッタ 劇
息子は 合唱 合奏
でした。
私自身 小学校での教員歴が長いので
ついつい 色々観察してしまい 我が子だけに専念できないのが
なんだかめんどくさい親でもある自覚があるのですが。
今回の発表会 本当にすごかった。
一体どれだけの労力を注ぎ込んだんだろうって。
「すごいね かわいいね かっこいいね 立派だったね 小学生にしては」
っていう レベルではなかった。
もちろん 学年相応のテーマではあったけれど
どの学年も 私が知っている横浜や川崎での発表会のレベルをはるかに上回る完成度でした。
もう 涙が出そうになりました。
6年生の合奏なんてもう 大人顔負けですよ。
なにもかもが。
岡山の他の小学校がどうなのかは私もわかりません。
でも
うちの子ども達に限っては 今の小学校で
今いる子どもたちのメンバーの一員でいることができたこと
幸せだったと 思います。
特に うちは 4月に引っ越してきたので。
個性の尊重 個を伸ばすことが大事にされる時代の流れの中で
教育現場は混乱しています。
学校は本来 集団の中で 他者と協調しながら自己の活かし方を学んでいく場所。
集団の中での自己の在り方を見つけていく場所なのです。
自己と集団 両方を意識していくのです。
でも 自己の活かし方 そして 競争構造に重点がどうしてもおかれる風潮があり
他者との協調のレベルにまで持って行けない。
そんな ジレンマを抱えています。
少なくとも 横浜 川崎ではそうでした。
だから 学習発表会的なものよりも
学力向上を図るという意味で 行事的なものはどんどん縮小されています。
でも 現場の先生たちなんて本来
金八先生みたいな 心の交流を夢見て 先生になった人も多いから
そういうの 好きなんですよ(笑)。
でも やりたいことと やらねばならないことが 乖離してる。
だから どちらも中途半端。
それが 私の持っている印象です。
もちろん 自分自身もそうだった。
だからこそ 今回の子どもたちの発表は 本当に 感動しました。
仲間とともに 一つのものを作り上げることのよさは
その完成度が 高ければ高いほど 子どもたちは感じます。
子ども達はわかります。
自分たちの出来がどうだったか一番よくわかってる。
いくら大人が
「小学生なのに頑張ったね!」
って気休め言ってたって そんなの 少しも受け取ってない。
子ども達は そんなほめ言葉 求めてない。
小学生レベルのできなんてどうでもよくって。
合唱一つするにしたって あの子たちが求める完成型って
それこそ NHK合唱コンクールみたいな ああいうのなんですよね。
ほんとは。
岡山って 学力レベルは 全国的にはかなり低いらしいです。
(そんなのどーでもいいと思ってるけど 耳には入ってくる)
でも そんな たかだかペーパーテストなんかじゃ
はかりしれないことが あるんじゃんやっぱり と 私は感じました。
もちろん よそから来たという意味で 子どもたちの学校に対して
疑問に感じること ちょっと不信感感じることも たまにはあります。
でも そんなの全部 どうでもいいかもと思えるほどに
素晴らしい 発表会でした。
うちの子どもたちは 間違いなく たくさんのものを得た。
一員として あの中の一人であったことは 子どもたちの一生の財産になる。
先生たちに そして クラスメイトのお子さんたちに 心から感謝です。
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