想いがないものを書くのはしんどい。自分だけの【唯一】

私は 結構がっつりとした記事を 頻繁に更新することが多いので

 

起業したときから どうしたら文章をうまくかけるか、と聞かれることが多くありました。

 

最近も ありがたいことに そんな風にお言葉をいただいたりします。

 

 

言葉が全てではないけれど

 

読んでくれた人の心の片隅で 未来で芽吹く種になるかもしれない

 

 

自分の想いを 言葉にのせる

 

それをし始めたのは 教員時代からでした。

 

 

 

子ども達一人ひとりと向き合いたい

 

そう思っても カラダは一つで 時間は限られていて。
 

 

でも 伝えたいことがある。

 

 

 

そう思って書きはじめた 教科通信(生物通信)や学級通信。

 

書くときによって目的は様々で。

 

 

 

教科に関係する面白そうな内容のときもあれば

 

ココロの在り方を問いかける内容。

 

ときには 自省を促すきっかけを願った内容。

 

 

色々でした。

 

 

 

でも そのときそのとき 必要だと感じたことや

 

伝えたいと思ったこと そういうことを 伝え続けてきました。

 

 

 

 

私にとって 書くという行為の前には

 

「想い」や「伝えたいこと」があることが 大前提です。

 

 

 

 

でも ビジネスや 起業 発信 という意味で 数をこなす必要があると聞けば

 

それを試した時期もありました。

 

やってみなきゃわからないと決め込むと 結構がむしゃらにやるっす
(そこが不器用なとこでもあるんですよね・・・意地っ張りというか・・・・)

 

 

 

そして 今感じているのは

 

「想い」がない 内容を書くのはしんどいということ。

 

 

書こうと思えば書けます。

 

努力すればできます。

 

訓練を積めば書けます。

 

 

 

でも 自分の「想い」が無い内容を書くのは ほんとうにしんどい。

 

私はね。

 

 

 

だから 数をこなすためだけに 書くという行為をすることは もうなくなりました。

 

「書く」という行為によって 自分は何をしたいのか

 

それによるんだと思います。

 

 

 

数をこなすことで 自分は何をしたいのか

 

文章というツールを使って 何を伝えたいのか

 

 

 

文章のうまい下手ではなく

 

想いがあればそれは 必ず言葉にのっていく。

 

 

 

「行間を読む」

 

という言葉が日本にはありますね。

 

 

 

言葉に表れていない世界を伝えるために

 

言葉をチョイスする

 

 

 

そんな狭間で いつも文章を書くことが 好きです。

 

 

 

文章を書けない と お困りの方は

 

もしかしたら まず 

 

「何を どんな【想い】を 伝えたいのか」

 

「自分だけの【唯一】はなにか」

 

そこから 始めるといいかもしれませんね(^^)

 

 

 

 

 

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