信条にしてることは 自分の弱さの裏返し

信条って 人それぞれ 違います。

私の場合は ブログのタイトルは

「気まぐれに この世界を愛してみる」

 

だし

今は 施術 自然療法家 というものに気持ちがとても向いているので

 

「職人レベルまで引き上げたい」

 

とか

 

「ひたすらに 地道に淡々と」

 

とか そんな言葉が多い。

 

 

そして 私自身がいつも言うのは

「カラダやイノチって完璧で その計り知れない力を 信じてる」

 

そんな風に ずっとやってきてる。

 

 

 

でもね それって 私自身は 自分の弱さ もろさが表れてる部分でもあるなっていう

 

自覚をしてる。

 

 

 

カラダやイノチに不安も 心の奥底にあるから

 

そこを 保ちたくて 言葉で何度でも繰り返すし

 

 

気まぐれに愛するっていう言葉は

のめりこみすぎて 依存しすぎるほどに 愛を注ぎすぎる

自分に対して ちょっと肩の力を抜こうよっていう意味が

込められているし

 

 

施術者とは

治療家とは

 

そんな風に 律儀で 誠実で 淡々と日々を過ごすことが
まだまだ染みついていないから

 

 

他の すぐに効果が出そうなことに飛びつきそうになったり

 

ヒトの気持ちよりも 目の前のなにか華やかなものや 自分のメリット

 

そんなものに惑わされそうになるからこそ

 

そうじゃない そうじゃないよねって

 

 

自分に言い聞かせている。

 

 

 

在りたい自分がいるから。

 

 

 

出来てるわけじゃないんだよ。

 

でも 在りたい自分がいるから 自分でそれを保つために

 

その世界に居続けるし 言葉にし続ける。

 

 

他の人がどうかはわからない。

 

でも 私にはそうなんだ。

 

 

言葉っていうのは 私が私であるために 大切に使っているもの。

 

そして 自分のためにやっているそれが

 

誰かの役に立つことでもある ということを

 

もうずっとずっと 知っているから。

 

 

だから 弱い自分も 情けない自分も そんな自分だから

 

資格がない ではなくて

 

 

できることがある

 

私が私を保つために 考えたり 動いてみたり 発信して見たりすることが

 

誰かの役に立つ

 

 

だから やってる。

 

 

だから 弱さは悪いことじゃない。

 

できないことは できること。

 

 

出来ない自分の自覚は 出来る自分の誕生日。

 

 

出来ないがあるから 出来るがあるし

 

 

出来るがあるから 出来ないが生まれる。

 

 

 

それでいいと思う。

 

 

 

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