引き寄せの法則と素粒子の世界 カラダという物質と 思考という見えないもの。続き。

コチラの記事をあげましたが。

 

→引き寄せの法則と素粒子の世界 カラダという物質と 思考という見えないもの。 

 

これの続きというか、書いた後に、数人の方からコメントとかももらって
ああ、何が言いたかったんだろう私、と考えて

少し整理されたので、続編(笑)

 

私が最近よく見かける「引き寄せ」の話は、結局のところ

 

引き寄せといえば 自分のマインドや思考で自分の欲しいものや未来が手に入る

引き寄せと言えば量子力学

量子力学といえば素粒子

素粒子と言えばダブルスリットの実験結果という、科学的な根拠のあるものも出てきている。

 

 

だから

 

【引き寄せ=科学的に証明されている】

 

 

という短絡的なものが多いことが、どうにもこうにも引っかかるってことを

言いたかっただけでした(笑)。

 

 

私は、科学のロジカルなところもとても愛しているし、

この世界の神秘的な法則にとてつもなく 魅了されています。

 

 

どちらも、あると思っているし、どちらも素晴らしいと思っているんですわ。

 

科学を愛してるけど、科学が万能じゃないことなんて誰が見ても明らかだし。

 

科学はこの世界の法則を解き明かすことは、今もまだまだできていない。

 

でも、科学のロジカルな展開、ロジカルさを徹底する哲学が好きなのです。

 

 

 

 

それと同時に、

 

科学じゃとうてい解明することなどできない、この世界の運行法則や

 

スピリチュアルな要素はとても美しく 不可思議で神秘的。

 

ま、どっちもあるし、どっちも好きなんです。

 

好みの問題だからねこれは(笑)

 

正否も優劣もつけられません。

 

 

でさ、ロジカルって書かれたときに、ロジカルの意味、ちゃんとわかる?

 

ロジカルって 「論理的」って意味です。

 

筋が通ってるってこと。

 

 

論理的って言われれば、なんとなく漢字の意味とかでわかるけど

ロジカルって言葉だけ聞くと、

なんか 使ってる人がすごそうに見えたりするじゃん。

 

特に日本人は、英語に苦手意識があるし、女性は物理的な言葉とか好まない人多いしね。

 

 

その「一見すごそうなこと」が、

 

なんか さもわかったように 使われてるのが、私はどうも 居心地が悪い。

引っかかる。

 

 

私もそういうところあるけど

 

やっぱり私たちって、すごそうなこと、自分には理解できなそうなことをやっている人って

 

なんとなくすごい気がするし、自分よりなんでもわかってるように見えることもある。

 

 

でーもーーーー。

 

それ、見かけ倒しのことも多いよってこと。

 

 

 

そもそも、引き寄せの法則は、たしかに量子力学の分野が絡んでる。

 

でも、さっきのブログ記事に書いたようなダブルスリットの話は、

 

引き寄せの法則とは、あんまりからんでない。

 

この世界への思念による干渉と

 

共鳴は違うから。

 

 

 

ダブルスリットの実験結果自体は、それはものすごい発見だし、

 

びっくりな話なわけです。科学者的には。

 

ただし、結果自体はすごい発見だけど、

 

なぜそうなるのかは 分かってない。解明されてない。

 

 

これからなんですよ、量子力学の世界っていうのは。

 

なにせ、量子力学で扱う素粒子は、そもそも、単体ではとりだせてないみたいだからね。

(世界の研究機関では進んでるかもだけど、英語の読めない一般人の私には

まだそれらしきものは目に触れないっす(笑))

 

 

 

この世界には、「意図や意思が、物理的に物質に影響することを証明する結果があったよ」

 

ってだけの段階。

 

 

 

だから、少なくとも、引き寄せの法則の根拠として、

 

量子力学が出てくるだけならまだしも、

 

「ほら、こういう実験結果もでてるんだよ!本物なんだから!」

 

って ダブルスリットの実験が引き合いに出されてた時点で、

 

私なら、アウト。

 

 

論理破綻とみなすかな。

 

だって、関係ないもん。

 

ああ、素粒子とか量子力学とかって言葉を出して、信頼性を高めようとしてるだけね

 

って見えちゃう。

 

 

 

 

 

で、コメントでたまたま、ボイジャータロット?と量子力学の関係を学ばれたって方がいらしたので、

 

せっかくなので、そのあたりのつながりも書いてみるとですね。

 

 

 

この世界を 波動振動としてとらえるのならば、

 

(ボイジャータロットと普通のタロットの違いはわからないんです ごめんなさい)

 

少なくとも、タロットと思考が引き合うのはある。

 

充分にあり得る。むしろ、無い方がおかしいと、個人的には思う。

 

 

タロットが形作られた時点で

 

その絵柄や色、使われる文字、数字という 言霊というか

 

契約がそこに刷り込まれていて、

 

すでに固有の振動数を発している。

 

 

 

ただ、共鳴という形で、思考や潜在意識を反映するのか、

 

易経のように、未来を時空に問うのかは、

 

うーーん、やり方によるのかなぁ?

 

たぶん、ちょっと違うはず。

 

  

そこは、占者さんの力量やフラットさにもよるかもね。

 

 

でも、説明がつく。

 

 

 

 

そして、トンデモ話的にもう少し話を進めるならば、

 

 

 

パワーストーンとかさ、水の入れ物に入れて置いたり

 

上に載せておいたりすると、味とかが変わるとかっていうでしょ。

 

 

あれも 間違いなくあり得る。

 

まあ、水に直接石を入れて置いたら、微量でも溶けるって可能性も

無いわけではないので、あまりお勧めはしないけど。

 

 

でも少なくとも

水の容器の上に パワーストーンをそれぞれ違うものを置いておいたら

水の質は変わるよ。

 

味として反映される形で変わるかどうかはわかんないけどね(笑)

 

 

で、もっと トンデモ話で言うなら(笑)

 

それこそ、赤とか、黒とか、白とか、一色だけの布で

 

水の入った容器をぐるぐる巻きにしておくだけでも

 

水の質は変わるだろうね、理論的には。 

 

 

 

陰陽五行に基づく 東洋医学とか薬膳とかって

 

そこを前提に さらに細分化されてるようだし。

 

 

 

そういうつながりが私は面白いし、

 

それこそ科学の飽くなきチャレンジだし、

 

人間のこの世界へのチャレンジだし

 

それをもう4000年近く前から読み解いてきている

 

古の人たちの知恵と労力には脱帽と敬服しかないし。

 

 

 

っていうこだわりがあるから、やっぱり表面上のものは

私個人は 好まない。

 

 

いいじゃん、好きなら好きで。

 

引き寄せ、あると思うよ。

 

そしたら、引き寄せはあるし、自分は信じてる、でいいじゃん。

 

そういう世界が好きだって 胸張ってればいいじゃん。

 

 

現代が科学が中心な世界なのは

 

科学は再現性を大事にしてるので、共通言語にしやすいんだよ。

 

わかりやすい。

 

 

そう、お金みたいに。

 

ただそれだけ。

 

 

 

 

で、私はさらに突き詰めるのが好きなわけ。

 

どうして、好きなものをただ好きと言えず、

 

正解や答え、説得力、科学的根拠がないと

 

自分の好きも言えなくなった?

 

なぜ、直感なんてあてにならない、理由を求めなさいって時代になった?

 

なぜ、自分の感覚よりも、他人の基準を大事にするようになった?

 

 

って考えたら、学校教育 幼児教育だったり、この社会の構造だったりにも行き着くんだけれど、

 

 

じゃあ、そんな 人間があとから作った枠にのまれない、ながされない、惑わされないような

 

社会にシフトするには、どうしたらいいの?って思った時に、

 

私は、健康とか、自然生活とか、カラダとか、施術とか、

 

そういったものが昔から好きだから

 

そこからアプローチをしてみようと思うだけなのです。

 

ま、別に究極的には、アプローチしてもしなくてもいいんだよ。

私はやりたいからやるだけ。

 

 

 

 

うーーーん。

 

ちょっと前まではね、何でもアリだよね、その人の真実はその人にあるだけだよね、

 

っていう、フラットであること、公平であることを意識してたんだけど

(絶対フラットにも公平にもなれないんだよ。でも、目指すことは大事でしょ。)

 

最近は、その先の、それで私はどう思う?ってとこも大事にしてみてるので、

 

まあ、二記事続けて、持論展開してみた(笑)。

 

 

 

結局は何でもいいんだけど

 

私個人にはゆずれないものがあるよっていう話でした(^^)

 

 

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