こんなにも繊細な 私たちの心を 慈しむ。「『嫌い』の正当化を手放す」

 

どうして 歴史の上に 言葉が生まれたのか

 

太陽 酸素 海 風 もう 充分だった筈でしょう。

 

 

椎名林檎さんの「本能」の歌詞の一部です。

 

 

私は 初めて聞いたときに この歌詞にある「問い」が

 

心に残りました。

 

 

 

そして ふと 考えます。

 

私たちは なぜ 「言葉」を 得てきたのでしょう。

 

 

正解はきっとありません。

 

でも 私はこう考えています。

 

 

「他者と 分かり合うため」だと。

 

 

私たちの争いは 分かり合えない小さな衝突から 必ずはじまります。

 

子どものケンカも。

 

世界の戦争も。

 

 

その 分かり合えないことが 苦しくて つらくて。

 

できるだけ 分かり合いたいから。

 

私たちは言葉を獲得してきたのだと思っています。

 

 

 

ところが

 

「相手と分かり合うため」だったはず言葉を

いつしか 私たちは 自分の感情の正当性を求めるために使い始めます。

 

 

 

あの人が嫌い

 

なんとなく苦手

 

ただそれだけだったはずなのに

 

 

「あの人は●●だから嫌い」

 

「あの人のこういう部分が苦手」

 

 

って 別に誰に聞かれたわけでもなければ

 

誰かに言うつもりもないのに

 

頭の中で理屈づける。

 

(まあしかも こういうのって考え出すとそりゃあもう 

山ほど出てくる・・・・のは私だけ?(笑))

 

 

 

でも  もしこれが

 

「好き」

 

という感情だったら、そんなこと 考えないことの方が多いのに。

 

 

 

それはきっと 私たちが

 

「嫌い」というネガティブ感情を持つことに罪悪感を持ち

 

本当は 好きじゃなきゃいけないという 気持ちを持っているから。

 

 

 

ピーマンが嫌い

 

ピクルスが嫌い

 

食べ物だったら、苦手なんだよね 嫌いなんだよね

 

それだけで済むのに。

 

 

そして 理由を並べれば並べるほど

私たちは自分が嫌いになる。 そんな自分が嫌になる。

 

 

 

 

でも 私たちはもう子どもじゃない。

 

 

小学生中学生のときには

 

「嫌い」「苦手」な人とも協調する方法を覚える必要があったけれど。

 

 

 

もう いいじゃない。

 

 

嫌いな人 苦手な人とも  関わることもあるけれど

 

そのときは 大人の対応をすればそれでいい。

 

シンプルに

 

「嫌い」「苦手」

 

ただそれだけ。

 

 

 

 

理由をつけて 理屈を並べて

 

自分のネガティブ感情を正当化するのを辞めてみると

 

 

 

きっとココロが楽になる。

 

 

 

 

感情は反射。

 

熱いものをさわったときに

 

あつい!って 手をはなすのと 同じ ただの反射。

 

感情に 善も悪も 罪も罰もない。

 

 

 

ネガティブな感情が生まれてきた自分

そんな風に ヒトのことを思っちゃいけないんだと感じる自分を

 

そのまま 慈しんでみよう。

 

 

 

 

 

こんな風に感じたきっかけは・・・ちょっとここには書けないから(笑)

 

裏マガにて(笑)

 

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