結局人は 人の想いに突き動かされる。言の葉に【想い】をのせて、世界に放つしか ない。

 

ブログを書き始めて、9年目。 

 

誰かに自分の想いを言葉にするという形の原点は、

はじめて教員という世界に入った時の、担任の先生たちが書いている学級通信を読んだこと。

 

自分が子ども時代にもらってきていた学級通信とかは、行事予定とか持ち物とか、ちょっとした授業の様子などが中心で

どちらかというと、親向けでした。 

 

ところが、最初に勤務した中学校の学級通信は、すごく独特で。

 

生徒向けのものでした。  

 

 

 

担任の先生たちの その時 生徒たちに伝えたい想いが、

 

時には 漢字一文字

時には 合唱コンクールの曲の歌詞

時には 偉人たちの言葉

時には 経験談

 

などで、日々伝えられていました。 

 

それぞれの担任の先生たちのカラーはちがったけれど、どれもこれも、まあアツ苦しいもんばっかりで(笑) 

 

けど、私はそういうものを読むのが好きで。

 

それを、担任の先生たちが見てないところで、生徒たちがこっそり読み直していたり、

ときにはぶーたれながらも しぶしぶ鞄にしまっていたり(笑) 

 

そして、次の日から見える生徒たちの意識の変化とか。

そんな光景を見るのが楽しくて。 

 

ああ、言葉の力ってすごいんだなぁって。 

よく 一人感激していたのを覚えています。 

 

担任一人につき、生徒が約40人。

毎日一人ひとりと向き合って話すなんて、到底無理。 

 

だから、それを、そういう「通信」「言葉」という形で、伝える。 

 

 

コミュニケーションの一つ。 

 

 

 

そんな 担任の先生たちの想いを 当時採用試験落ちてて担任という立場にあこがれていた私は、

いつか担任になったら書くぞ――――!とひっそり野望を持っていたのでした(笑) 

 

けど、待ちきれなくてさ(笑)

次年度、高校で生物担当ではたらいてた時、「生物通信」とか 書いちゃってた(笑) 

 

 

でさ、

もちろん、

読んでくれないこともあるわけさ。 

 

相手に響かないこともあるわけさ。

 

でも、「種まき」だから。 

 

 

 

私が仕事用のこのブログを開設する前に書いていた、

マニアックなブログがあるんだ。 

 

それは、私が、ローフード、ナチュラルハイジーンっていう代替医療を知ることにつながる世界と出逢って、

一人ですっごいびっくりして。

 

世の中こんな世界があるんだって感激して衝撃を受けて。 

 

これは広めた方がいいに違いないって、ずっとしこたま書いてた。

 

絶対知っておいて損はないって。 

 

名まえも住まいも職業も、もちろん匿名。 

 

 

あのころの方が、ブログは自由なものが多かった気がする。

今は、仕事で使ってる人がすごく多いもんね。 

 

みんな、純粋に、自分の想いをのせていた。 

 

 

 

どうして続けられるんですかって、聞かれることも多いんだけど。 

 

まずは、きっと、私言いたいことたくさんあるんだと思う。

 

おせっかいだから(笑) 

 

 

こんなのもあるよ!

 

こんな視点もあるよ!

 

これってすごくない?

 

そして

 

私ってこういう人間なんだよ

 

 

って感じかな(笑)

 

 

 

ただただ、私が感じたことを知ってほしい。 

 

だけ。

 

 

もちろん、直接会って話して伝えたり、個人的にメッセしたりする方が、よりはっきりと明確に伝わるとは思う。 

 

 

けどさ、

 

知ってほしいのも、広めたいのも、共感が欲しいのも、私の願望・欲求であって。 

 

相手が受け取るかどうかは、その人次第。 

 

 

 

けど、目の前で言われたりすると、断りづらい人とかもきっといるじゃん。←水エレメント的な思考でしょw

 

 

だから、相手のタイミングで、受け取りたい人が受け取ってくれたらいい、っていうくらいが

私の中では一番心地いい。 

 

 

けど、想いは伝わる。

 

必ず。 

 

 

 

その伝え方が、例え、流行のビジネスツールガンガン使っていても。 

一切そういうの使わなくても、

 

例え文章がへたくそでも(笑)

短くても。 

 

 

想いがあって、続けていたら、必ず、伝わる。 

 

必ず。

 

 

だから、伝えたいと、知ってほしいと願うなら、放ち続けるしかない。

 

 

 

 

相手を変えることも、コントロールすることも、自分にはできないから。 

 

私は私の想いを、言葉というツールに乗せて、ただ、この世界に放とう。

 

 

 

タンポポの綿毛のように、いつかどこかで芽吹くことを信じて。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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