おっきな勘違い

今日は 一年間名古屋に通ってた施術の講座の最終日で 試験でした。 

昨日の 試験練習の段階から ボロボロ。 
 
もちろん今日もぼろぼろ。
いろんな意味で。
技術以前の問題で。 
また向き合いの日々が始まった感じです。 
 
 
自分に嘘をつかない
自分に正直に生きると決めて
進み始めたはずの一年前。 
 
いろんなことを 自分で決めて
行動しだして。 
行動すれば いろんな変化が起きるから。 
その過程でいろんなネガティブ感情もたくさん生まれてきてたのに。 
それを感じるのも 吐き出すのもしんどいからと、いつのまにか 感じることを抑えていた模様。 
  
施術には生き様が出るからとずっと言われ続け。 
やっと一歩踏み出してたのに
いつのまにか無理して
大丈夫なふりして
一人で負えもしない責任背負おうとしてたってゆー
同じこと繰り返しかけてたのを
気づかせてもらえたのはわかるから。 
 
いつか 向き合ってくれた先生たちにも 心から感謝できたらいいなと思うけど。 
 
やっぱり私は自分のことに精一杯で。
 
結局 これまで私はどんなところを
どんなときに どんなふうに取り繕ってたんだろうって そんなことばっかり思い返してる帰りの新幹線です。 
昨日は 言われた意味がよくわかんなくて。 
権威とか 傲慢とか やってやろう感とか
自分のどの部分のことを そう表現されてるのかもわかんなくて。 
 
ダメな自分だから
せめて できる限り冷静に できることを探してたこと自体が どうやら 違ってたらしく。
 
 
そもそも 冷静になんてなれないし
湧いてきてる感情を見て見ぬ振りして
なきものにすることが
取り繕って その場をやり過ごそうとしてるとゆーなら
ほんとにその通りで。 
できもしないことを やろうとすることが
傲慢といえば傲慢で。
でも
それ以外の 自分のネガティブ感情の いなし方が まだわかりませんし
ネガティブ感情を抱えたまま生きるタフさもまだなくて。 
その器は ネガティブ感情をちゃんと感じること以外では育たないらしくて。 
しんどいのは嫌なのに。
苦しむくらいなら 感情なんて なきゃいいのに。
かっこ悪いとか、みっともないとか
そんなのどーでもよくて。 
ほんとに 一つ溢れだせば いろんなことが
苦しくて苦しくて仕方なくなるから。 
それが嫌なのに。
もーっ!どーしたらいいのさっ
って思ってます。 
もちろんね。
別に、取り繕ってることも 見栄を張ることも 感情フタすることも 別に悪いことでもないのも
わかってます。 
 
別に このままがよければ
このままでいいし、
場合によっては 先生たちの視点も 一視点であって  絶対ではないよね?ってのもわかってる。 
先生たちもそーゆー意味で言ってるのも知ってる。
でも たしかなこと。
それは
このままでは したい施術ができない。 
今日は少しはマシだったけど
昨日の施術は ここしばらくでは 一番 相手の身体からの応えが鈍かった。 
先生たちに言われたからじゃなくて。 
別にそれが正しいとか 正しくないとかじゃなくて。 
 
私がこの手でそれを体感してしまってるから。 
だから、違ってたことだけは わかる。 
間違ってた とは あんま思ってない。
精一杯だったから。 
でも 違ってた。 
それでも どうにかしなきゃと 考えてやったことが小手先なんだとしたら。
 
ほんと小手先だったんだと思う。
身体の生きる力を信じることと
責任逃れすることは 違う。
あんな風に なってしまったのが悔しい。 
あんな施術は もうしたくない。
しんどい感情ばっかり湧いてきて。
おとといあたりから 泣き通しだけど。 
泣いて泣いて吐き出せて。
やっと しんどさが少し落ち着いてきたと思ったら
今湧いてきたのは 自分への悔しさでしたとさ。   
  
もー!
あきらめないんだからーっ!
以上 つれづれでした。 
ま、こんなんなりながらも
来月からも 一年間 今度は滋賀に先生たちに教わりに行くほど、私は先生たちのこと信頼しております。 
おしまい。

—–