【統合医療的伴走の記録 生命力を信じ抜くことと現実を見ることの狭間で】

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【統合医療的伴走の記録 生命力を信じ抜くことと現実を見ることの狭間で】
昨日、一つの区切りを迎えたことを記録として言葉にしておきたいと思います。

初夏の頃から、一人の方の施術と統合医療的サポートをさせていただきました。
がんのステージ3で、近くの血管に浸潤していたことからオペ不適応。
標準医療でしたら抗がん剤治療になるのですが、その治療もなかなか寛解や生存率が高くないケース。
ご本人とご家族の中で話し合われて、標準治療外の、治ることを目的としての統合医療的加療がスタートしました。
岡山では、なかなか統合医療的にがん治療をサポートしてくれる医療機関は見つけられず、主治医を見つけるところから難航。
それでも、なんとか主治医になってくれるドクターも見つけて、定期的な検査は確保。
そこから、数種類の自由診療分類の加療や自然療法代替療法と施術を組み合わせて過ごしてきました。

少しずつ強くなっていく症状や、検査結果の穏やかな悪化に不安になることも度々あったかと思いますが、その度にご本人とご家族は話し合われ、方向性を確認して、過ごしていく日々。
その姿勢には希望も見られ、私が知る限りでもご家族の総意として治ることを目的に動かれている稀なケースでした。
私の役割としては、検査結果や症状などを共有して噛み砕いたり、治癒を1番の目的に施術をする中で、身体の様子をお伝えすることや症状の緩和、ご家族のサポート。
何より、今生きている身体をしっかり見て信じること。
疾患によっての戦略的施術部位もあるにはあるのですが、それはあくまでもテクニック。
今を見ること。身体という現実を見ること。施術する私自身が、その方の生命力をちゃんと目の当たりにする施術をすること。
徹頭徹尾それを貫くことが役割と思ってやってきました。
ラボの勉強会でもそうですし、進行性難治性疾患の方にも必ずお伝えするのが、
「どんな時でも、悪くなるか、現状維持か、良くなるか
それだけ。どの未来に進んでもおかしくないわけだから、
どの可能性も考えて、その都度考えて選択していきましょう。」
それをお伝えしつつ、身体に施術させてもらう。
自分なりに、やってきたつもりでした。
ご本人やご家族は、それはそれは一生懸命に、精一杯されてこられていました。

 


ただ、残念ながら。
あたたかく愛情あふれるご家族に見守られながら、昨日命を全うされました。
昨夜、仕事が終わってから、お願いしてお伺いさせていただき、最期の施術を軽くさせていただきました。
そして、今日はお通夜にもお伺いし。
(着いたら終わってた😅 けど、すぐだったので、お焼香させていただけた・・・すみませんほんと)
亡くなった夜や、お通夜の時にご家族皆さんとお話しさせていただき、
「ああ、この方の息吹は、ちゃんとお子さんお孫さんたちに受け継がれているやん。同じ優しい空気をみなさん纏われていますよー。」
と、感じました。
どれだけお力になれたかわからない私に、皆様から過分なお言葉を頂戴して、むしろ一緒に伴走させていただけたことに感謝しておりますと、ただただそう思いました。
死に様は生き様。
生き様は死に様。
それを私は夫の時に学んだわけですが。
人生最後の時間に伴走させていただくことは、その方の人生の集大成に関わらせていただくことなんだと今回は強く感じました。この方の人生の結果は、愛に溢れたご家族として私の目には映りました。
お会いするたびに感謝の言葉をいただき、最期を迎えられた後もご家族から感謝の言葉をいただき。
ありがとうって言われるのが本当に嬉しい私としては、
とっても嬉しいはずだけど。
たくさんたくさん学びもいただいたけれど。
そんなことよりも。
まだまだ生きていてほしかった。
治ってほしかったと。
そう思いながらの昨日今日です。
数ヶ月間、ご家族みんなで歩き切りましたね。
ありがとうございました。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
2025.9.11 あおいけい
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