なんだか変だと思うことが増えた
集団自衛権という言葉がたくさん目に入ってくるようになったこと
電車などの吊り広告などで
『新・戦争論』
みたいな言葉が増えたこと
今回 亡くなった方の母上が
『悲しみを憎悪にかえてはならない』
と 断腸の思いで言ってくれたのに
日本のトップは
『償わせる』
と言ったこと
原発の放射能のことはみんなほとんどの心配しないでなんでも食べるのに
テロには怯えて 集団自衛権も仕方ないのかなぁと感じてるっぽいこと
日本が戦争への道に進み始めた気がして うすうすちょっと
『ヤバイんじゃね?』
と感じ始めた矢先に
今回の日本人拘束の事件が起きたこと
みんな
無関心装ってるけど
イチバン気にしてるのに…普段通りに見せかけてる
なんか…
変じゃない?
すごく違和感
そしてわいてくる素朴な疑問
無関心装ってていいのかな?
国のこととか外交とか政治とか
わからなくたって
なんにもわからなくたって
おかしいと思うことは言っていいんじゃない?
学校現場でも
こうして いじめは進行し 根深くなるの
みんな
「まだ大丈夫」
「まさかそんな大事になるわけない」
「自分はきっと気にしすぎなんだ」
「そんな大変なことになるわけがない」
こうやって
子どもたちは 自分の中に生まれた
ほんの少しの良心と疑問を
「何もないはずだ」
と打ち消そうとする
そうすると
いじめもトラブルも 必ず大きくなる
だからこう教えるの
加害者と被害者と傍観者
傍観者は加害者と同じ
そして 教員の間での
いじめ対策の1つのセオリーは
「早期発見 早期対策」
ただ、今回の件
学校のいじめと大きくちがうのは
加害者 被害者なんて分けられるほど
単純じゃないこと
歴史をひもとけば
お互いに言い分があり
正義も悪もない
1つの出来事については、
もちろん、善悪はある
どんな理由があったって、
人の命を奪うことが善になることなんてない
でも、その背景、
起こってしまった原因
関わっている人々
世界観
それらいろんな要素を考えたら・・・
もしかしたら、
私たち日本人、日本という国が
加害者かもしれないよ?
誰かだけが悪いとか
何かだけが悪いとか
そんなふうに決められるほど
世の中は単純じゃない
ただ、
未来を決めるのは今の我々
どんな未来を願うのか
子どもたちにどんな未来をつなぐのか…
みんな、気にしてる
言わないだけ
コワイだけ
口にしたら、本当になってしまいそうで
口にしたら、自分が変な奴だと思われそうで
でもさ
みんな気にしてるよ
あったりまえじゃん(^^)
今怖いのは
誰もが「無関心を装ってしまっている」ことで
一人一人が
「自分は気にしすぎなのかも」
「みんなは気にしていないのかも」
「気にしていないやつなんておかしい!」
「気にしている自分はおかしいのかも」
って
へんな誤解をして
変に思い込んで
お互いに孤立した気になって
いないはずの敵を作って
マイナスのスパイラルにはまること
そうじゃない
もちろんいろんな人がいるけれど
今回のことや、今の世の中についての感情が
大きい人も小さい人もいるけれど
命を粗末にしたいと思っている人なんていないよ
戦争したいと思ってる人なんていないよ
今回の件で胸を痛めてない人なんていないよ
表現の仕方が違うだけ
ちゃんと
気にしていることを 少しずつ、表現していこう
私たちは一人じゃない
一人になんてならない
一人になんてさせない
そう 決めて 未来に進んでいけると 私は思ってます(^^)
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