着地点が見つからない夜

フェイスブックをながめていると、ときおり目に留まる「違和感」。

 

起業スタイルが自由になり、誰でも資金0で起業できるようになった。

 

人に雇われることなく、しばられることなく、指図されることなく、稼いでいくことができる

 

「一人起業」。

 

その言葉の響き、どんどん輝いていく起業家たちの後に続きたい人が増えるにつれ

 

そこは 市場となり ビジネスの場となった。

 

起業にあこがれた人たちは ビジネスのターゲットになっているのは事実。

 

 

そして 

 

そのターゲットになった人たちが、明らかに「食い物」「飼い殺し」されているとしか

思えない様子が 目に入ることがある。

 

私の中に なんともいえない怒りがこみ上げる。

 

「一生懸命になっている人を 成長に導けないビジネスなんて くそくらえ!」と。

 

私の中の「正義感という武器」が大きくなり始める。

 

 

でも、理屈では分かっている。

食い物にされている、飼い殺しにされているように見える人たちは

そこにいたくているのだ。

 

違和感はあるはず。

おかしいと心のどこかで感じてるはず。

 

それでも 自分が選んだものだから手放せない。

お金をつぎこんだから、あきらめられない。

 

そこに固執する。

 

カモにする方が悪いとか カモにされる方が馬鹿だとか そういう次元の話じゃない。

 

 

それぞれが それぞれに 「自分にとって必要」だから その状況を作り出しているだけの話。

 

 

いちいち、私があーだこーだ口出すいわれはない。

 

それこそ 大きなお世話だ。

 

 

分かってる。

頭で考えたらわかってる。

 

 

それでも、この 切なくなるような怒りを どうしたらいいのだろうと思う。

 

自分が正しいだなって少しも思ってない。

 

何が正しいなんて 私にはわからない。

 

 

その人たちが 幸せだろうが不幸だろうが 私には何もできない。

本人たちが 選んで決めて動くしかないのだから。

 

 

私が救ってあげるって言いたいわけじゃない。

 

私のとこなんかじゃなくたっていい。

 

でも いつまでもそこにいるなよ と

 

それじゃまるで道化師(ピエロ)だと

 

いい加減気付け と

 

怒りに似た祈りだけが わいてくる 着地点のない夜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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