川崎中学生男子の事件に思う~部外者には所詮何もわからない ではこういった事件をどうとらえるか~

もう、毎日毎日、テレビも新聞も この話題で持ちきりです。


川崎市の中学生が 殺されたこの事件。



私も、川崎市の中学校に勤めていたこともありますので

決して他人事のようには思えません。


私は

彼も、彼を死に至らしめた少年たちのことも全く知りませんが

もし自分の教え子たちだったらと・・・
もし我が子だったらと・・・


ただたた 胸が痛むだけです。



ところが
ネットでも雑誌でもそうですが

こういった 痛ましい事故でさえ 

一種の大きな「刺激」となり 話題性が高まります。


もちろん、世間の関心も高まることでしょう。


でも、

忘れてはならぬのは

所詮、私たちは部外者であるということ。


狂気の沙汰だ

親の育て方がおかしい

どうして誰も気づかなかったのか

親がおかしい

友達がおかしい

子どもたちがおかしい

学校がおかしい


そうやって

いつもいつも

○○が悪い

○○の責任だ


そんな話ばかり



たまに言いますが

世の中そんなに単純にはできていない


誰かだけが悪いとか 何かだけが悪いとか

そんな単純にかたづけられることなんてほんのわずか



今回のことだってそうでしょう


親にも 学校にも 地域にも 周囲の大人にも

友人にも そして本人たちにも 環境にも

今回のことにつながる原因や理由が少しずつはあるでしょう


でも、どれかだけが

何かだけが悪いとか、原因なんてことはあり得ないのです。



犯人探し、今回の原因の追究は

我々ただの部外者が、傍観者が

ガタガタいったところで何にも始まらない。


そこは、警察に、裁判に任せるしかないのです。



では

いったい私たちは、こういった痛ましい事件を

どうとらえたらいいのか。



それは

「今の自分は、今後こういった事件が身の回りで

起こることの無いように いったい何ができるのか」


考えて、一つ一つ行動に移すしかないのです。


今回亡くなったお子さんが 本当にかわいそうだと思うなら

その話題で、我が子をほっぽらかしてママ友とお茶してないで

家に帰って一緒に遊んであげてはいかがでしょうか?


今回の事件の裏話的なことをネットサーフィンで仕入れている時間に

心と体を健やかに育てるために、きちんとした食事を作ったらどうでしょうか?


犯行を行った少年の顔写真をシェアしてる暇があったら

近所に出て、地域の子どもたちを見守ったらいかがでしょうか?


未成年うちは、スマホなどは必ず保護者が毎日チェックした方がいいですよ?

子どもの問題は 大人の問題です。


我が子だろうが我が子でなかろうが

周囲の大人の無関心は

子どもの成長を歪める可能性を高めます。


心の不安定さは、今回の様な事件のきっかけともなります。

毎日の、食事 排泄 睡眠、 

当たり前の基本的な生活習慣

安定したココロとカラダを育てます



我が子がもしこういう目にあったら・・・

と、不安になる気持ちはわかります。


でも、その不安にのまれて

我が子に降りかかる小さなトラブルを全て

大人が解決したり、降りかかる前に取り除いてしまったら

いずれ親の目が届かなくなった時に

自分で対処する力は育ちません。



今回の事件は 本当に痛ましいです。

苦しくなります。切ないです。


でも、そのマイナスの感情にとらわれすぎてはいけないと

私は思います。



常に常に

「今の自分にできること」

淡々と。


毎日 目の前のことを大切に


遠回りのようで、こういったことの積み重ねが

今回のような痛ましい事件を未然に防ぐことにつながります。


こんなことが二度と起きぬようにと
外へ向かって新しいことを始めるのではなく

一人一人の大人が 丁寧に 大切に
自分の家庭 家族 足元をきちんとかためていく。

それだけが、我々にできることなのではないかと

私は考えます。


彼の ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。






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