★人に「教える」立場として、私が一生大切にするであろうこと(つぶやき)★

こんにちは あおいです。

今日は久々に学校関係のお仕事してまいりまして~♪

いやいやいや、子どもたちってすごいね

自由だね 面白いね パワフルだねぇと

中にどっぷりつかっていたときとまた違った感じで

子どもは宝だなぁと感じてきました(^^)

さて、

私は起業した今も、結局 対象が子どもたちではなくて 一般の方々になっただけで

何かを「教える」ということに関しては何も変わっていないのですけれど。

昔も今も

「教える」立場

に自分がいる中で

常に心がけていることがあります。

それは

「好かれる」(理解してもらう)努力をすること。

そう心がけるようになった一番のきっかけは

大学生の時のある教授の言葉でした。


「教師として児童生徒の前に立つようになったとき

全員に好かれることなんてありえない

そんなことは絶対にないと思え!」

「でも、好かれる、理解される努力は怠ってはいけない。

自分から、相手との距離を作る原因を作るべきではない。

それでは教師失格だ!」

これは、私の中ですごく重みのある言葉でした。

好かれる、理解される努力というのは

決して迎合するとか 妥協するとか、そういう意味ではなくて。

貫かねばならぬことは貫かねばならないし

言わなきゃならないことは言う。

それでも

自分から歩み寄る努力を怠るなと。

人の中で、人を信じられずに生きていくことこそつらいことはないと。

人を信じることの素晴らしさを教える立場である教師が

先に目の前の子どもたちを信じないで何を教えるのかと。

人のあたたかさを体現せずして

何を伝えるのかと。

いつもいつも、それができていたわけでもないし

今だってうまくできてないのかもしれないけれど

ずっとずっと、私が大切にしてきた、自分軸の一つです。

好かれるとか理解されるというとちょっと語弊があるのかな

信を得る努力

が ニュアンス的に近いかな~☆

この考えが最善という話ではなくて

私はこういう考え方が好きで

きっと まちがいなく

一生この考えを忘れずに 大切にしていくのだろうなと・・・・・

そういうつぶやきでした(笑)

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