※文章ではどうしても伝えきれる自信が無くて
映像で、少しでも伝えられたらと思って
動画も貼り付けました。
相変わらずのすっぴんで
慣れてないから、うまく話せていないところもあるけれど
私の精一杯です。
内容を、文字にもしてあります。
多少言い回しが違うところもありますが
ご容赦ください。
うまく伝わるかどうかわからないけれど
私なんかの想いは たかがしれているけれど
それでも
精一杯伝えるから
あなたに届きますように・・・・
私は、誰かとよく関わったりやり取りしたり
何かをしてくれたりしたから
誰かだけを大切にしたいとか
誰の味方だとか そういうことは一切ありません。
強いて言うなら、
私は欲張りだから
私と関わってきた全ての方々を大切にしたい。
役に立つなら力になりたい。
力なんてないけれど
それでも、せめて自分の目の前の人たちを精一杯大切にしたい。
ただ、それだけなのです。
私には
あなたの苦しみなんか、
これっぽっちもわからない。
微塵もわからない。
わかるなんて、そんな軽々しいこと、言えるわけがない。
どれだけ、眠れぬ夜を過ごしてきているのか
どれだけ、自分を責めてきているのか
どれだけ、世間を恨んできているのか
どれだけ、悔し涙を流してきているのか
どれだけ、絶望を味わってきているのか
どれだけ、恐怖を抱えてきているのか
どれだけ、死という言葉が頭をよぎってきているのか。
それでも、生き抜いてきて、
大切な存在を守り抜いてきている
みなさんだから。
どれだけの苦労を重ねてきたのかは
口が裂けても「わかる」なんて言えないけれど
ずっとずっと頑張ってきて
苦しんできて 涙してきたであろうことだけは
伝わってくるから。
せめて
ただ、寄り添いたい
無条件で
ただ、抱きしめたい
そう 願っているだけなのです。
その想いは
私の勝手な願いであり
だからこそ、必要じゃない人は
離れていく。
そしてそれでいいと
素直に思っているのです。
必要になれば
必ずそのタイミングがやってくるから。
そのときは、何の気兼ねもなく
来てくれたらいいと思っているのです。
数日後でも
一年後でも
十年後でも
そのタイミングが
永遠に来なくてもいい。
別に私はできた人間でも聖人君子でもないから
怒るし愚痴るし拗ねるし泣くし・・・・
すごく 感情の起伏がある人です。
今でもね。
だから苦労もしたよね。
ぶつかることも多かった。
いつしか、自分の感情の起伏があって
その根本を見つめることを意識するようになりました。
なぜ 自分は今攻撃的なのか
なぜ 自分は敵味方を作ろうとするのか
なぜ 自分は相手が許せないのか
なぜ 自分は自分と価値観が違う人を許せないと思うのか
なぜ 自分はあの人が嫌いなのか。
そうするとだんだん見えてくる。
その感情の原因となっているものが。
そして、
一見マイナスに見える感情の根底に流れる
苦しみ 悲しみ そういったものに共感してもらえたとき
寄り添ってもらえたとき 自分が自分のココロに寄り添ってあげたとき
ギュッと縮こまっていた心が溶け出していく。
そのことが わかるようになったから
ただ無条件に受け入れてくれる
寄り添ってくれる存在がいるだけで
心穏やかに 前向きに進めるきっかけになるから
私は
私の大切な人たちの、そういうきっかけにならなれるかもしれない
そう考えるようになっただけです。
たとえば今、いさかいが起きている
負の感情が強くなっている
責める責められる
そんな状態がある
その根底には
みなさん一人ひとりが
今、苦しい状態にあるのだろうと
ゆとりのない状態なのだろうと
私には感じられます。
それが、私には苦しい
だって
それぞれの側に言い分があって
それぞれの人が大切にしている価値観があって
そうしなきゃ やってこれなかった
生きぬいてこれなかった過去があって
だからこそ起きているだけだから。
私から見れば
誰も悪くない
何も悪くない
どの人も
苦しみの中でもがいているから
それがわかるから
頑張ることも罪じゃない
頑張らないことも罪じゃない
責めることも罪じゃない
責められることも罪じゃない
許せないことも・・・罪じゃない。
頑張らない人が許せないのは
あなたが必死に頑張ってきているからでしょう?
頑張る人を受け入れられないのは
これ以上頑張ったら自分が壊れてしまうくらい
あなたが精一杯頑張ってきているからでしょう?
あなたが人を責めるのは
それだけ過去に理由なく責められてきたから。
あなたが人に責められて苦しいのは
本当は言われなくたってわかってるから。
あなたが人を許せないのは
・・・・あなたが誰よりも 自分を責めているから
それがわかるから
私は何が悪いとか誰が悪いとか
少しも思えない。
そのやり方はできれば控えたほうが・・・とかはありますけどね。
社会的犯罪とかは別のはなしですし。
そしてね
この考えすら、私の主観であって
私にとっては大切だけれど
他の人にとってはそうではないことももちろんあるわけで
それでいいと私は思ってる
それが当たり前だと考えてる。
価値観は人それぞれ
考え方も人それぞれ
自分と違う人を 責める必要も
説得する必要もない。
自己中心的とかじゃなくて
自分は自分が大切にしていることを
ただ 淡々と大切にしていったらいい。
そのことを必要としている人には
必ずちゃんと それが伝わっていくから。
だれがいなくても
あなたが必要としてくれるなら
私が心に寄り添うから
だから
自分を責めないでください
自分を許してあげてください
理屈はいらない
形式も常識もいらない
私はただ
あなたに 心から笑顔でいてほしい。
それだけです。
あなたの心からの笑顔が
あなたと
あなたの大切な存在が幸せでいられる
なによりの贈り物だから。
少し前に
初めて、瞑想の場に立ち会う機会がありました。
その最後に
その場にいた全員で、マントラを唱えました
というか歌いました
ハレルヤというマントラ
をうたったので
それの動画も探したのですけれど
指導者である彼女の澄んだ声と空気感と
何よりココロを表したものが
どうしても見つからないので
曲は違いますが
アメージンググレースを
貼り付けておきます。
本当は、私が祈りを歌に込めたい気持ちがあるけれど
ちょっと、音痴な私にはそれは無理なので・・・
これはもともと神への讃美歌の意味合いがあるけれど
今回はそういった宗教的な意味合いではありません。
ハレルヤをうたった時には
歌を歌う前に指導者の方が
「3回繰り返します
最初は自分のために
2回目は大切な人のために
最後は世界のために」
と言いました。
「今の穏やかさが
自分の幸せの役に立ちますように
今の穏やかさが
自分の大切な人の役に立ちますように
今の穏やかさが
世界の生きとし生けるものの役に立ちますように」
という言葉もありました。
今を生きていてくれるあなたに
今を生きていてくれるあなたの大切な存在に
感謝と 賛美と そして 愛をこめて
どうぞ 笑顔で
いさかいは なにも うまないから
あらそいからは なにも うまれないから
—–