アレルギーの子もアトピーの子も 発達障がい特性がある子も 未来には減っていてほしいと願うから。

先日の主催講座で、

 
 
参加者向けのランチプレートを作っていただけるようお願いしました。
 
すごくお料理上手で、食材にも、お料理にも愛がある方なので。
 
 
開催数日前に、あるママさんからの講座のお申し込みもあり、お子さまもご同伴とのこと。
 
 
 
よく 講座などに参加してくださっている方なので、お子さんがアレルギーがあることは
 
私も知っていたので、申し込み時にはなにも書いてなかったし、
 
いつもお子さん用のお弁当をご持参されていたのも知っていたけれど、
 
ゆみこさんにもアレルギー対応をお願いしたところ、
 
快く引き受けてくださいました。
 
 
 
そしたら、当日それを知って、すごく喜んでくださってね。
 
とても丁寧に感謝を伝えてくださるわけです。
 
 
申し訳ないです、ありがとうございますって言いながら。
 
「安心して子どもと同じものが外で食べられることがこんなにありがたいなんて」って。
 
頭下げてくださるわけ。
 
 
 
そう言われながら、うれしさと 切なさと ふつふつとわき上がる違和感が 実はありました。
 
あ、違和感は その方にではないですよ。

とても謙虚でまっすぐな方でね、私もいつも見習いたいと思わせてくれる方なのです。

 
 
 
 
アレルギー対応をしたいとの私や由美子さんの行動に
 
感謝がいただけたことは本当にありがたいこと。
 
ありがとうって言われたら、そりゃうれしいっす。
 
すんなり受けてくださり、ひと手間かけてくださった由美子さんにもほんとに感謝しかない。
 
 
(卵 乳製品 魚介類 肉類 白砂糖など 全てフリー かつお節は後のせ)
 
 
 
 
でも、アレルギーさえなければ、アトピーさえなければ、
 
他の人たちがしているように、普通に何も気にせず、楽しく笑いながら
 
子どもと一緒に同じものを食べられるのに。
 
その場でみんなと一緒に笑って食べられるのに。
 
って、切なくなった。
 
 
 
そして、違和感の理由は・・・・やっぱり怒りだね。
 
どうして、普通のお母さんが、普通に子どもと一緒に同じものを食べられない
 
今になっちゃったの、現代になっちゃったのって。
 
なんで必死に子育てしてるお母さんが、私なんかに頭下げなきゃいけないのって。
 
 
 
 
私は、こういう現代になっちゃったのは、私たち大人の責任だと思ってる。
 
責任がある=悪いことをした
 
というわけではない。
 
 
でも どこか、なにか間違った選択をし続けたからこそ、今の課題がある。
 
 
アレルギー
 
アトピー
 
子どもの生活習慣病
 
発達障がい
 
原発
 
環境破壊
 
大気汚染
 
土壌汚染
 
 
なんでもそうよね。全部つながってるから。
 
政治が悪いだの、企業が悪いだのって一般庶民の私たちは言う。
 
でも そういう政治家を選んできたのも、企業の製品を買い続けてきたのも
 
今大人である私たちだから。
 
 
政治や大企業という、形がありそうで、実はないものに責任をなすりつけるのは
一番楽なの。
不調とかを「年のせいで」って言い訳するのも、誰も傷つかないからだしね。
 
 
 
・・・・違うなんて 誰も言えないでしょう?
 
全ては 私たちの世代、私たちの親世代、私たちの祖父母世代、
 
そしてずっとずっと前からの先人たちの選択の積み重ねとして 今がある。
 
 
 
【過(あやま)ちて改(あらた)めざる 是(これ)を過ちと謂(い)う】
 
 
 
私たちは、あやまち、間違いを起こす。
 
間違わない人間なんていない。
 
 
 
でも、その過ちを、あらためないことや、
 
反省もせず、 次も同じことを繰り返すこと
 
それは 罪深い過ちだと 私は思う。
 
 
 
これまでの選択で、少なくとも科学技術が発展し、医療も発展し
 
救えなかった命が救えるようになったのも事実。
 
 
 
そういうような、良い結果に結びついたものは、きちんと評価したらいい。
 
それは きっと、素晴らしいこと。
 
 
 
でも、科学の進歩には、人間の文明の発達には
 
犠牲はつきものだと。
 
大事の前の小事には 目をつぶるしかないのだと
 
・・・・そんな屁理屈は いらない。
 
 
 
 
だって、私は母だもの。
 
 
 
どうして、どうして、普通に恋した相手と結婚して、イノチを授かって
 
出産して、子育てして、一緒にご飯食べて、またその子が大きくなって恋をして・・・。
 
 
そんな自然のサイクルが なぜこんなにも乱れたのか。
多少のイレギュラーがあるのは自然の摂理。自然淘汰。
 
 
 
でも どう控えめに見ても 自然の域をこえておかしいくらいに
 
イレギュラーが多発していることは、誰が見たってあきらか。
 
 
 
私は、子どもたちに今たくさん降りかかっている、起きているたくさんの症状や状況は
 
大人へのメッセージだと私は感じてる。
 
 
【いい加減気付いてよ 大人!  いい加減 考えようよ 人間!】って。
 
 
そういう時代を選んで生まれてきたんだから、なんてスピ的な話は
 
はっきり言ってどうでもいい。
 
(そういう部分は多分にあるけど、それを理由にするのは、無責任と思ってます)
 
 
 
誰も悪くないさ、戦前の時代、戦後の時代、私たちの上の世代の人たちも
 
精一杯生きてきた。
 
 
 
そんなの知ってる。
 
でも、どの時代も、誰もかれも、必ず間違いがある。
 
 
 
それに気付いたら、方向修正しなきゃ。
 
間違うことも、間違ってきた過去も、未来に生かすためにある。
 
人間は 反省を未来に生かすことができる。
 
 
 
私にとっては、アレルギーに対応するなんてのは 当然も当然だし、
 
発達障がいのお子さんが生きやすい社会を考えていくなんて
 
当たり前すぎる話だし。
 
 
そして、誰も言わないけれど、でもきっと誰もが思ってると思うよ。
 
未来には アレルギーもアトピーも発達障がいも 子どもたちから減っているといいなって。
 
(簡単にこんなこと言っていいとも思ってないです。
それでも、2年間 特別支援学級担任として過ごしてきた日々があることを鑑みていただければと思います)
 
 
今ある現状を 受け入れることと
 
未来を考えて選択することは ちょっと違うよね。
 
 
今できることを精一杯。
 
そして、未来を考えて、少しでもよりよい未来を紡ぐための小さな選択を積み重ねる。
 
それが、子ども達世代に生きる未来を創る。
 
 
 
私一人の100の力より
 
 
100人のヒトの1の力の方が、未来への影響力は大きいし、
 
 
 
100人のヒトの1の言動よりも、
 
10000人のヒトの 0.5の誠意ある行動が 未来を紡ぐ。
 
 
だから私は 伝え続ける。
 
 
 
大人の考え無しは、無責任ですやっぱり。
 
 
「過ちて改めざる、是すなわち、過ちという」
 
 
古のヒトの言葉を 胸に刻んで。
 
 
 
 
 

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