あの人は、あの生き方で幸せだったんだろうか、と ふと思う。

 

10年近く前、まだ50代半ばくらいで、天に還った近しい人がいました。 

 

ふと目に浮かぶのは、

 

いつもつらそうだったり、しんどそうだったり、切なそうだったり、そんな顔ばかり。 

  

 

 

バカをやって、笑っている顔は思い浮かぶけれど、

 

どこか、表面上の笑顔でしかなかったようにしか、今でも思えない。 

 

 

 

 

あの人は、私が知らない時間、ココロから笑っていたのでしょうか。

 

あの人は、私の知らないところで、何も考えずに微笑む日があったのでしょうか。 

 

 

 

 

クリスチャンだったあの人は、

 

クリスマスにはミサに行き、賛美歌を歌い、

 

家の無い路上生活者には煙草を渡し、捨て猫はつい拾ってきてしまい・・・

 

いつも 社会的に弱い立場の存在に、愛を示そうとしていた。 

 

 

 

誰かのために自分の身を削り、

 

誰かの苦しみに同調して涙を流し。 

 

 

でも、あの人は、自分のために泣いたことがあったのでしょうか。 

 

自分のために、祈ったことはあったのでしょうか。 

 

 

世界の平和を願い、

 

全ての人々への愛を大切にし、

 

奉仕のココロを携えて。

 

 

 

そして、あの人は何をしたかったのだろう。 

 

私は、ただ笑っててほしかったのに。 

 

 

 

 

 

もう二度と聞けない 問いがある。 

 

「生まれてきて 良かったですか・・・・?」

 

 

 

 

クリスマスイブなのに。

 

クリスマスイブだから。 

 

どうしても思い出してしまう。 

 

 

 

 

連鎖の鎖が断ち切れない。

 

あの人はあの人。

私は私。

 

 

あの人の生き方を 基準にしている自分がいて、

 

それを、いけないと思っている自分がいる。 

 

ちゃんと分離しなきゃいけないのに、できないことがダメって思っている。

 

 

 

まだまだ 病んでるな私w 

 

 

 

北海道 行かなきゃいけないなー。

 

話、聞きに行かなきゃなー。 

 

 

 

 

 

それでも、

 

聖なる夜が

 

この世界の生きとし生けるもの全てに 

そして

その一部である私にも

 

愛があふれる時間と なりますように。

 

 

 

 

 

先日、定時制の高校生の名言。

 

「深刻なのは総理大臣だけでいいw」

 

さすがだ!(笑)

 

 

 

—–