『論文に患者を合わせるな』 おごりとプライドは 紙一重。

※昨夜放送されたのドクターXのネタバレ?的なあらすじが入るので
ストーリーを知りたくない方は ドラマを見た後でお願いしますw

 

今朝 昨夜放送されたドクターXを見ました。
(録画しといたw)

 

 

その中で 主役の大門未知子が

 

「論文に 患者を合わせるな」

 

というセリフを言ったんです。

 

 

 

ストーリーをかいつまむと

 

 

院長が自分の病院の権威回復のため 論文作成を 医師たちに指示

 ↓

二大派閥が お互いに相手に勝つために 論文作成のために

分院から症例となる患者を転院させ 治療に当たり 論文を山ほど作成。

 ↓

ある医師が 相手の派閥に勝利するために海外論文をパクる
 ↓
自分の実力を認めさせたい違う医師が その医師に協力して

論文通りの手術を実行。

(論文がパクられたものだったことは知らないらしい)

 ↓

手術を受けた患者は 実は金属アレルギーだったのに それを無視して(気付かず?)
論文通り手術のため 術後の縫合不全が起こりかけ それを 主人公が
指摘して 手術した執刀医に

 

「論文に患者を合わせるな!」

 

と 手術のし直しをするという。

 

 

 

そんな流れです。

(並行して派閥争いとかあるけど それは 省きますw)

 

 

で、私 そのセリフ聞いたときに 率直に何を思ったかっていうと

 

 

「そうそう。だから 整体にしても エステにしても

 

マニュアル通りの施術なんてダメなんだよ。

 

 

施術を受ける相手のカラダの声を聴かなきゃ。

 

ただ決められた通りに マニュアルの手順踏んだってダメでしょ。」

 

 

ってことだったんですよね。

 

 

 

そして その一瞬後に とても恥ずかしくなりました。

 

「ああ こういう風に真っ先に思うって 私の中に 【おごり】があるんだな」

 

って。

 

 

確かに オステオパシーという施術に関わり始めて 3年過ぎました。

 

初めて 「骨の解剖図」 というものと

 

骨格模型を見ながら ヒトの体に触れることを始めたあの日から、

 

私なりに 精一杯 学び練習し 実践し続けたという自負はあります。

 

 

 

そして オステオパシーの世界 そこからさらに学び続けたい哲学と手技への

無限大の可能性は 知っています。

 

 

・バーストラウマ(出産時の内外のトラウマ)への対処

・アレルギーなどの内科的疾患の改善

・自閉症含めた発達障がい 子どもの発達のサポート

・精神と肉体のつながりの整合化

 

でも 私は まだまだ分かっていない。

 

 

 

学んで そういうことへのアプローチができる人たちを

この目で見てきていてるけれど

 

今の私にはできていないことがほとんどで。

 

出来ていないということは 体感としてわかっていないのと同じなんですよね。

 

でも 知ったからわかった気になっている。

 

 

 

カラダについての学びでは 苦労もしました。

 

ホントに必死でした。

 

「ヒトの体を預かるから」

 

「施術は 外科手術と同じ。手術するときに

 

解剖学も知らないなんてありえないでしょ。」

 

そう教えを受けてきたので。

 

 

そして 施術への責任 という意味で 

 

とてもその教示はありがたいものだと今でも思っているのですが

 

 

苦労した分 大変だった分 時間もかけていた分

 

「自分がやっていることは すごいことなんだ」

 

という おごりが出てくる。

 

 

 

自分自身の向上や追求心 自分のやっていることを信じるという意味での

 

【プライド】ってやっぱり大切だと思うけど

 

 

でも それが

 

【おごり】

 

に転ずることはたやすいんだなと。

 

 

 

 

ま 朝からそんなことを 考えていたという、何ともめんどくさい変わったやつかもしれないんでですね私w。

 

でも 私の中では大事な 気付きだったので。

 

書き留めておこうと思います。

 

 

 

 

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