症状 診断 西洋医学 自然療法 【イノチの見方】

自分自身が 症状にフォーカスをあてた講座をすることにしたり、

 

療法相談で、それなりに重いと言われる診断のある方の話やご家族と関わって、ちょっと感じたことをつらつらと。 

 

 

 

西洋医学と対極に見られることが多い自然療法。

 

「治る」の定義や

 

「症状」の見方が 真逆の位置にあると言われることも多いんですが。 

 

 

どちらかというと、どの療法が、どのツールが、というよりも

それを使いこなす、それを選択した側の立ち位置によるんじゃないかと思います。 

 

 

 

 

ここで少し先に、「言霊」ということについての私の感じるところをお話ししたいんですが。

 

 

私は昔から、陰陽五行とか陰陽師とかそういうのに興味惹かれる自分がいて。

 

 

 

岡山に来て陰陽五行にであったというよりも、

私の人生で 陰陽 陰陽師という言葉がインプットされたのは・・・

 

カルラ舞う

 

というマンガでした(笑)

 

 

ストーリーとかもうよく覚えていませんけれども。

 

 

今でも覚えているのは

 

登場人物が 印をきりながら言う あの呪文のような言葉。

 

「りん ぴょう とう しゃ かい じん れつ ざい ぜん」

 

(笑)

 

感じも意味も分からないけれど、音だけはもう30年以上たっても憶えております。 

 

 

 

まあ、そんな陰陽五行の世界がえがかれている陰陽師というマンガの中に

 

 

「この世界で一番の【呪詛】は 名前である」

 

というようなシーンが出てきます。 

 

 

 

名前をつけられ、その名前を知られることで、もうそれ以外の者にはなれなくなるという

強力な、この世界で最強の 「名」 という呪詛、呪縛。

 

 

大人の私から見たら、

 

娘の持っている人形は、お店の陳列棚にたくさん並んでいた姿かたちが全て同じの

人形なのに。

 

 

娘は その中のたった一つに 特別である証という意味で

 

「名前」をつけ、

 

その瞬間から、娘にとってはその人形は、唯一無二のものとなります。 

 

 image

 

「名」がつけられるということは、良くも悪くも、「他のものとは違う」という意味で

特別化される。 

 

 

 

 

それは、ヒトのカラダ、という分野においても同じだと思うのです。 

 

 

どれも同じ ただの「イノチ」なのに、

 

そこから 動物か植物などと区別され

 

動物の中でも ○○類と区別され

 

同じ人の中でも 〇〇人と生まれた国で区別され

 

そして、家の名前を与えられ、たった一人だけの名前を与えられ、唯一無二の存在となる。 

 

 

そして、その「名をつけられる」ということは

 

私たちが想像している以上に、私たちのイノチ、意識に影響を与えていることを

 

私たち自身は無意識で知っています。 

 

 

 

健康 という分野で言うならば

 

何時しか私たちは病気を探し始め、不調を探し始め

 

「イノチ」を見なくなる。

 

 

 

診断名がついた瞬間から、

 

その人の一側面として、こういう診断や症状があるよ

 

という見方ではなく、

 

 

〇〇病の Aさん

 

◇◇症状がある Bさん

 

 

そして、その病が命の期限が統計的に出ていたり

治癒に時間がかかるものであればあるほど

 

その名前が付いた瞬間から、

 

その病しか見なくなる。

 

 

目の前にある、今生きて、呼吸をし、血が巡っているそのぬくもりを見ず

 

その病にとらわれる。 

 

逃れられなくなる。

 

そして、その先に不幸や死を見る。

 

 

未来なんて、誰にもわからないのに。 

 

 

明日、私だって死ぬかもしれない。 

 

誰も知らないのに。

 

 

 

私たちは誰一人、自分の死期を確実に知るすべはなく、

残りの寿命なんてものもわからない。

 

 

そうしたら、

 

今ある生 今生きている「イノチ」

 

今ココにある「イノチ」を どうとらえ、どう生きるか、しかないと思うんです。 

 

 

 

そういった意味で、

 

自然療法、自然生活というものを取り入れていくと

 

「どうなるかわからない未来への不安」

 

に 押しつぶされるよりも

 

「今あるイノチ」

 

に フォーカスが当てやすくなるなぁと。 

 

 

 

そう、感じています。 

 

 

まあでもこれは、いわゆる自然療法を選んでいれば全てそうかといえばそうではないので、

それだけで断定する気もないのですけれど。 

 

【自然療法】

 

という名前の言霊には

これまでの歴史を考えた時に

 

「症状をたたくのではなく、その症状からのメッセージをよみとき

今ある命にフォーカスを当て、カラダがきちんとめぐるようにする」

 

という見方が、もう少しいうなら、そういった情報が

すでに込められているということなんだと思います。 

 

 

 

私が、40の手習いでご縁あってはまりはじめたお点前。

まだ、その歴史も動作の意味も重みも 何もわかっていません。

それでも、見よう見まねでその「型」をすることで

なぜか気持ちが落ち着き、静かになり、この世界を感じることができる。 

 

きっと 長い長い歴史から、茶道というものが持つ世界観から

サポートされているからなんだと思います。

 

 

西洋医学の治療を選ぼうが

自然療法を選ぼうが

 

結局のところ 「カラダを癒し、治すのは そのカラダ自身」でしかありません。 

 

 

 

何を選ぶにしても

 

「今あるイノチ」を みることができるもの

 

「診断名」という呪縛にとらわれないもの

 

それが、いいのではないかと 感じる今日この頃です。

 

 

 

ま、そんなこと言ったって、自分や家族のことだと、そう簡単にできませんけどね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

—–