イノチについて『迷い』や『葛藤』の機会を作りたいんだと思う。いい話 したいわけじゃ ない。

 

 

教員時代、道徳の授業が好きでした。 

 

一応専門は理科なんですが、、横浜市の道徳研究会とかに所属させていただいて、

色々やりました。 

教科の授業って苦手だったけど、道徳教育は楽しかったなぁ。 

 

 

 

道徳の時間の一番の醍醐味は、

 

子どもたちに、

 

いかに授業中などに口にしているきれいごと(理想論)と、

普段の自分たちの言動にギャップがあるかを 認識してもらい、

その気付きの中で、本音を引き出すか。 

 

そのために、事前にどれだけ、子どもたちのココロを掘り起こしておくか。 

 

 

それがすごく面白いんです。 

 

 

たとえば、子どもたちは 口をそろえて言います。 

 

「死ねって言葉はよくない」

「ヒトには優しくしなくちゃいけない」

「決められた役割は果たすべきだ」

「キレイな言葉を使おう」 

 

 

でも、じゃあ実際に

 

「でも、あの時あの場面で、〇〇さん、『死ね』って言ってたよね?」

「ケンカしたとき、相手にやさしくできてた?」

「この前、遊びに夢中になって、係の仕事忘れてたよね?」

「むかつくって 普段よく聞こえてくるよね?」

 

って、現実を突きつける。

 

 

それは個人的にって場合もあるし

ふり返りシートを毎日書いてもらうとかもあるので

あくまでもそれを、責めたり断罪したりするようなことにならない配慮が必要なんですけども。 

 

 

 

そして子どもたちはその中で、

理想通りにならない自分たちの現実の中で

自分の大事にしたい価値観を どう大切にしていくか、

そんな落としどころを探していく。 

 

それが、道徳の時間、道徳教育のとても面白くてそして難しいところです。 

 

一対一なら話してくれても

授業になると、なかなか本音を言ってくれないしね(笑) 

  

 

 

でも、そうやって、理想と現実にはギャップがあるって気付いて

その葛藤や悩みの中で、自分の価値観がどんなものなのかを 少しずつ少しずつ育んでいく。 

 

そんな道徳教育を、横浜市では目指していました。 

(今は知りませんが、その流れはあると思います。)

 

 

 

 

 

たぶん、私は、そういうことを今もやりつづけたいんだと思います。 

 

 

正しいこと、とか、正解とか、

絶対的なものがこれだよって、

そういうことを伝えたいわけではなくて。 

 

 

いちいち、ストップをかけたい。

 

細かいことと言われても、そのあいまいな部分 どうよ?って問いかけたい。 

 

 

問いかけたいっていうか、

 

いちいち、一見批判的に見えることが、すぐにアタマに浮かんでくるんですよね。 

 

 

 

 

めっちゃ流行のものは、胡散臭く見えるし

 

すごくいいこと言ってるようなものは、裏があるんじゃないかと思うし、

 

たとえ自然派のものであっても、絶対肌にはこれがいい!みたいな宣伝とか見ると、

いちいち商品表示見て、難癖つけたくなる(笑) 

絶対なんてあるわけないやん!って(笑) 

 

 

  

だからある意味、今いちいち

 

「カラダは完璧」

 

って言葉を出すこととか、

 

 

 

「余計なものはいらない 不自然なことはしない」 

 

みたいなことを言うのも、

 

 

 

そういう概念が なかなか無い人が多いように見えるから、

 

そういう視点もあるんじゃないの?って たぶん言いたい。 

 

 

 

 

もし、それらが当たり前であれば。

 

私きっとまた、それを おそらく批判的というか、ほんとかよ?って視点から見て

それでまた 葛藤が生まれるようなこと 言い出す気がします。 

 

 

でもそれは、

悩ませたいわけでも、困らせたいわけでもなくて。 

 

 

たった一つにすがるよりも。 

 

 

選択肢がある中で、

 

「自分はこれ」って決めることができたものを大切にしていくことって、

 

確かな自分を育む要素になっていくからと思うから。 

 

 

悩みや葛藤の末に、その人が選んだことであれば

ま、なんでもいいんじゃないのって 思う。 

 

 

でもさ、人に言ってる言葉って、

実は自分に向けて言ってるって言うでしょう。 

 

 

よくわかる(笑) 

 

 

私がほんとは、絶対的なものがあればいいのにって思うことがある。

 

選択肢なんてなくって、正解が決まっててくれたら、どんなに楽だろう思うことがある。

 

そして、自分自身の中で、「自分というたしかなもの」を 私自身が追い求めてるんだと思う。 

 

 

 

「いつたどり着くのかなー。

はやくたどり着きたいなー。」

って、心が叫ぶことがある。 

 

 

「たどり着く場所に正解なんてないよ。

自分でたどり着きたい場所を決めて生きるだけでしょ。」

って、アタマがココロに話しかけてる。 

 

 

それが、アタマじゃなくて、ココロが納得するまで。

腑に落ちるまで、私はきっと探し続ける・・・かな?

休み休みね(笑) 

 

 

 

 

 

 

で、一方で、実は私の中にある確信もあって。 

 

私がこうして、いちいち自分の弱さも内面も さらしながら

迷いながら生きている姿を 表に出していくこと、発信していくことは、

絶対誰かのためになってる。 

未来の子どもたちのためになってる。

 

おこがましいかもだし、えらそうかもだし、勘違いかもだけどさ。 

 

そう思うんだから仕方がない(笑)

 

 

 

なので!

 

私がお招きしている方々も、絶対絶対、話を聴いてくれた人たちに役に立つし、

 

今生きてる命、未来の命のために、なりますよ。 

 

 

12月と1月にお招きしている講師の方々の生き様にどうぞ触れてください(^^) 

 

ライブ動画でも話しましたが、

 

趣味や娯楽、楽しさ、美、自己研鑚という、人生を彩るプラスアルファの話もとても素晴らしいけれど

私は 命という人生のベースに興味がある。

 

 

今を生きる。

 

この命を生ききる。

 

人生のベースであるカラダやココロについて。

 

 

ぜひぜひぜひ 一緒に学びましょ。

キレイごとや理想論で 人が生きていけるかっツーの!

 

 

 

NGOモノサシ 小島利恵さん&かわかみたかひろさん

→【募集】12/15(金)&16(土) 『お金の学校』『ちゃんとこどものみかた』キター――!

 

日本ホロソフィー協会 中壽賀宣行会長&岩田浩和副会長

→募集【1/22(月) 歯科&バーストラウマ】お母さんに知ってほしい 赤ちゃんのためにできること

 

ということで、最後は宣伝で締めましたとさ♪ 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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