『うまいことが言えなくなる』 言葉で微調整してきた自分。

 

 

先日の ブラッシュアップ&情報交換会のあと、

 

いつも仲良くしてくれている広島のりさちゃんと一緒に、

 

ご近所の オサレなカフェ Skipさんにランチデートに行きました。

 

 

 

 

 

 

「健康」「自然治癒力」「施術」などの知識と考え方のベースがかなり似ているりさちゃんとは、

 

色々なことが心置きなく話せます。

 

 

 

この時も、色々話していたんですが、

 

ここ最近の自分の変化も、少し話題に出しました。

 

 

 

私は、教員時代はもちろん、多数の子どもたちの前で

 

授業をしたり、話したりしてきていて。

 

教科通信や学級通信もずっと書いてきています。

 

 

さらに、退職して今の道に入ってからも、

 

もちろん講座もたくさんしてきましたし、

 

ブログなどでも発信してきました。

 

 

 

そう、私にとっては

 

「言葉」というのは、自分の発信をまだ見ぬ誰かに伝えてくれて

 

そこから人との出逢いやご縁もつないでくれる、

 

とてもかけがえのないものではあるのです。

 

 

 

ま、ちょっと前までよく自分のウリにもしてたんですけどね、それ。

 

「教えることや話すことがうまい」

 

「文章書くのが好き、少しも苦ではない」

 

ってさ。

 

 

 

とーこーろーがーーーーー。

 

最近ですね、

 

「言葉がうまく」出てこないんですよ。

 

 

 

あ!疾病疾患じゃないですよ。

 

普通におしゃべりできるしこうしてブログも書いてるし(笑)

 

 

 

でも、なんていうんだろう、

 

私の基準からすると、うまくないんですよね。

 

うまく言葉が出てこない。

 

うまく言葉が出てこない自分に気づくから、

 

滑舌悪いし、言い間違えるし(笑)

 

 

講座をするときには、かなり致命的―――(笑)

 

 

でも、昔だったら、

 

「うまく話せない自分」はダメだって

 

ただただ、焦ってました。

 

 

 

でも今は、

 

最近のこの自分の変化は 一体自分にどんな気付きを

 

与えるために起きているんだろうって、考えてます。

 

 

 

そして、思い当たることもありました。

 

 

たまにブログに書くんですが、

 

私、もともとは口下手だったんですよね。

 

四人兄弟なんですが、その中でも一番か二番くらいに口下手だと

 

よく親からは言われてました。

 

 

 

口下手が原因と思われるトラブルや、しんどい時期も

 

まあ、幼少期から学生時代まであったのでね。

 

 

 

私にとっては、言葉は鎧でもあり、武器でもあったんだと思います。

 

 

 

そして、いつしか、「言葉」で微調整をすることを私は覚えていたんだと思います。

 

 

 

 

帳尻合わせだったり、

 

 

少し大げさにしたり、

 

 

逆に大したことないようにみせたり。

 

 

 

 

もちろん、嘘を書いてきたつもりはないです。

 

例えその時の自分が、自分に強い思い込みをもたせてたとしても(笑)

 

嘘はなかったと言えると思う。

 

 

 

でも、本当に全てが そのまんまの事実真実だったかと言われると、

 

そうでもないなぁって。

 

 

癖なんですよね、

 

自分で文章とか書いてるうちに、妄想というか、

 

あおいワールドがどんどん広がっていって

 

そこに感情移入や投影して、ドラマティカルに自分の中でとらえるの。

 

 

 

その 自分の好みに脚色してドラマティカルに仕上げたものを

 

言語化してしまう癖がある。

 

 

いつもじゃないっすよ もちろん(笑)。

 

 

 

でも、まあ、要するに、それができなくなったってことでしょう。

 

 

 

 

それは、りさちゃんの言葉がすごくフィットしたんだけど

 

「色んなことが見えてくると、『うまいこと言えなくなる』よね」

 

って。

 

頭の中で、損得を考えた計算ができなくなったとも 言えるかもしれない。

 

 

 

じゃあ、どうしてそんな風に自分が変わったかって言ったら、

 

私の中では、この一年以上受け続けてきた施術による、

 

カラダ自体の変化が大きい気がしてます。

 

 

 

 

施術によって変化していく自分自身のカラダとココロを通して、

 

見える世界もどんどん変わっているし

 

土台がしっかりしてきたら、そりゃあ 武器も鎧もなくてもいいよね。

 

だって、芯の強さができるんだもん。

 

 

 

書くのをやめるとか、話すのをやめるとか、そんなこと別に考えてないけど、

 

まさか、こんなことまで自分が考えるようになるとは思ってなかったなぁ・・・。

 

 

 

 

でも・・・・実はずいぶん楽な自分がいます。

 

 

 

言葉が武器と鎧にもなっていたということは、

 

私にとっては日々は戦いだったのかもなぁとかね。

 

戦う前提の人生・・・・そらしんどいわ(笑)

 

 

 

 

精神面、メンタルについては聞いてないのでわかりませんが、

 

少なくとも、「カラダ」という構造の部分には、まだまだまだ

 

改善(変化)の余地はありまくりのようなので、

 

今後も、施術による体の変化で

 

一体自分の内面と言動はどう変わっていくのか、

 

さらに楽しみすぎです(笑)

 

 

 

 

あ、思い出しました。

 

最近、私なんかがオステオパシーを語るなんておこがましいかもとかって思ってて

 

言語化してなかったんですけども。

 

 

 

一番最初にオステオパシーを知って感じたのは

 

「すっげーーー!」「おもしろーーい!」「不思議ー!」

 

でした、そういえば・・・・。

 

そう、面白いんだよほんとに、オステオパシーって。施術って。

 

 

 

 

ほんと、この先私、どうなるんでしょうね(笑)

 

気長に変化をお待ちくださいませ(笑)

 

 

 

って、ライトにまとまったなぁなんて思ってたのに。

最後の画像選んでて、たまたまこれ見たら、泣けてきちゃったよ。

 

そうだよね、言葉なんてなくても、分かり合えた経験、

 

誰もが・・・・・してきてたのにね。

 

もう、武器も鎧も、もちたくないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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